ありのままの自分を生きることができるとき、現実はスムースに流れ出します。
ありのままの自分とは何でしょうか?
我儘になることではありません。
(ありのままになることを安心してもらいたいので、あえて言います)。
我儘とは、文字通り「我(が)」のままに生きることですが、
ありのままの自分とは、
「日常を生きる自分」と「見失われた本音の自分」と、
この両者の言い分に折り合いをつけさせる「つなぎ」をもって生きることです。
目指したいのは、この「ありのままの自分」を生きることです。
「日常を生きる自分」とは、フロイトのいう「意識」領域のものであり、「認識できる自分」(自我)です。ですが、フロイトのいった潜在意識(無意識)には「自我とは別に自己(セルフ)がある」といったのがユングでした。
「見失われた本音の自分」というのは、「無意識」領域に「隠された自分」や「見失われた自分」の欲求(自己の一部)です。
「自我」と「自己」の言い分をともに生きることができるようになることを、「ありのままの自分」すなわち「個性化」とユングはいいました。
自分の一部が「隠され」たり「見失われ」たりするのは
大事なボディガードシステムのおかげです
幼少期に、自我を発達させていく過程で、私たちは家庭環境、学校環境を経験しながら、
●生き延びるのに都合がいいと認知した、自分の考え方、感じ方
●誰かの意見をそのまま受け継ぐことで生まれた思い込みや価値観
●ショックな出来事をなかったこととして記憶の外に締め出すこと
●人間関係の中で装う、仮面(ペルソナ)
プライベートMySpaceの写真を表示する方法
などを学んでいきます。
これは私たちの大変重要な内なるボディガードシステムのおかげです。
そのために「本音の自分」はうやむやに隠されたり、見失われたりする必要がありました。
過去のその時点においては、そのほうがあなたのこころのバランスを保つのに都合がよかったからです。
幼少期にかぎらず、思春期以後、大人になってからも、
このボディガードシステムに護られ、こころのバランスを保ちながら進んでいきます。
ときには幼少期に見つけたパターンに従い、
ときには大人になってから学んだ新しいパターンに合わせて、進んでいきます。
時の流れとともに、手放した方がいい「日常を生きる自分」や
解放されるのを待っている「隠された自分」がでてくる
人間関係から身体症状まで、ストレスに感じる現象はそのサイン
けれども時は流れています。
過去、現在、そして未来へ、私たちは環境をかえながら、成長しつづける社会的動物です。
過去の時点では都合がよかった、こころのバランスのとりかたも、
今ここを生き抜くには、もはや手放したほうがより都合がよいとされる
「日常を生きる自分」というのがでてくることがあります。
それは同時に「隠された自分」を解放する必要がでてきていることでも意味します。
そのサインは、あなたにとってストレス現象となって現れます。
「頭では分かっているのに、思うようにならない」「どうにも変らない現実」あるいは
「せずにはいられない」という経験も、そのひとつです。
その主な現象は
●人間関係(家族、友達、恋人、夫婦、親子、仕事相手など)
●仕事環境
●身体症状
●行動・嗜癖・依存症
●自己の能力
などに現れます。
もしもあなたがこのうちのどれかにストレスを感じているとしたら、
それはあなたの中に隠された、
早く目覚めてもらいたいと願っている「本音の自分」からのSOSの叫びであり、メッセージなのです。
「本音の自分」のSOSメッセージを
くみあげるのには専門家が必要
最適で電話番号を検索する方法
それを一緒に見つけていくのが、fioreのセラピストのお仕事のひとつです。
ここはひとりで見つけるのは難しい領域です。
セラピストとの自然な対話のなかで、変性意識状態を経験するとき、立ち現れてくる部分だからです。(臨床家によっては催眠療法やワークなどの形式をとることもあるでしょう)
なぜなら「日常を生きる自分」(自我)が身につけたことしか、私たちは知覚・意識できないようにできているからです。
(そのぐらいでなくちゃ、ボディガードシステムとしても困るわけなのですが、そのガードが過度だったり、もはや不要だったりするのにそれに気付かないままでいると、かえって状況は陰転してしまう側面をもっているわけです)
無意識レベルで新しいこころのパターンをつかんでいくには、専門家のサポートが重要です。
「日常を生きる自分」と「隠された自分」の両方の言い分をとりもつ「つなぎ」を見つけるセラピーであることがポイント
この「見失われた自分」や「隠された自分」といった「本音の自分」が、対話のなかでひも解かれるとき、いわゆる「癒し」が起こります。新しいあなたの目覚めの第一歩です。
さらにはこのプロセスと同じか、それ以上に重要なことがあります。
「つなぎ」を見つけるプロセスです。
その思想と知見によって、臨床家によっては「見失われた自分」や「隠された自分」をメンタルブロックによって阻まれた「本当の自分」と表現することがありますが、fioreではそのようには捉えていません。
なぜなら、「日常を生きる自分」(自我)もあなたの大切な一部だし、「見失われた自分」(自己の一部)ももちろん大切な一部。どちらともあなたであることに偽りはないからです。このどちらもが「本当の自分」です。
どちらも"あなたらしさ"を構成するうえでは欠かすことができ� �せん。
ものごとがうまくいかなくなるのは、この両者のそりが合わず、どちらも大事な自分であるにもかかわらず、解離させた状態を続けているからです。
PLCはリレーの機能がどのようにチェックされている
あなたはもちろん無自覚なわけですが、無意識の自分によって、ひとつの政党のなかでふたりの党首がたってしまっている状態を続けていることに似ているかもしれません。
「日常を生きる自分」も「見失われた本音の自分」も。
どちらも尊重し、どちらをも表現して生きることが
「本当の自分」であり「ありのまま」を生きること
だとfioreでは解釈しています。
このとき課題となるのは、どのようにして「日常を生きる自分」の都合を理解し、同時に「見失われた本音の自分」の言い分も受け容れることができるのか?
そもそもこの両者は、どちらか一方にとって都合が悪いから、どちらか一方が隠ぺいされるという、関係性ではなかったか?
そのとおりです。ほっておけば、もとの木阿弥になります。
気をつけていただきたいのは、たとえ「本音の自分」を見つけて癒しを経験しても、
その新しい「本音の自分」を無防備にさらけ出して生きれば、
やはりふたたび社会という外的刺激のなかで傷を負うことになりかねないという点です。
だから、この両者をとりもつ「つなぎ」や「折り合いのつけかた」を見つけることも、あなたが「ありのまま」を生きるうえでとても重要です。
「つなぎ」を見つけることができれば、あなたは「本音の自分」を大事にしながら、社会のなかでも都合のよい境界線をキープしようとする「日常のなかの自分」をも大事にすることができます。これが「ありのままの自分」で生きることであり、あなたらしく生きることです。「つなぎ」はあなたらしさに命を吹き込む風になります。
そのためにもその対話が「関係性」を意識したものであるかどうかも決め手です。くりかえしますが、私たちは社会のなかで身を守って生きる動物だからです。「関係性」の取り方をめぐって、自分らしい立ち所を模索して生きている動物だからです。
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